アイデア満載のメニューと独自の店づくりで、国内外のファンから熱烈支持を受けたパクチーハウス。
その狂気とも言えるアイデアは、例えばこんなものでした。
・日本パクチー狂会の立ち上げ
・パクチーだけのかき揚げ「パク天」というメニュー
・正式名をしっかり口に出して伝えないと注文できない、「パクパクピッグパクポーク ビッグパクパクパクポーク」(その正体は、豚バラやわらか煮込み〜中華風ソースのパクチーのせ)というメニュー
・ミントではなくパクチーが「これでもか」と入っているモヒート「パクチーもヒートアップ!」というメニュー
・「追パク(ついパク)」と注文すると、その声の大きさで盛りが変わる、トッピング用のパクチーがある
こちらのお店、オープンがパクチーブームのずっと前、2007年ですから、まさにパクチーブームのパイオニア。(実際に世界初のパクチー料理専門店でした)
パクチーほど賛否両論がハッキリと分かれる食材もめずらしいですが、それは言い換えるとそれだけ熱狂的なファンがいるということ。そんなパクチーファン、いわゆる”パクチニスト”は、メキシコやイタリア、オーストラリアなど世界各地から来店する人がいたそう。「この店の商圏は、半径2万キロなんです」とはオーナーの佐谷恭さんの言葉です。
僕が面白いなと思ったのは、佐谷さんはパクチーのお店を出したくて始めたのではなく、「場づくりをしたい」という想いがパクチーというアイデアと結びつき生まれたものだということ。
”飲食店の素人が、パクチーというマニアックすぎる食材をメインとした専門店を立ち上げる。その道の専門家からは大反対を受けたそうですが、「絶対に面白い」と信じた佐谷さんは、開店に突き進み、とことんパクチーを突き詰めます。(本文ママ)”
という点もとっても共感できます。
パクチーハウスの目的が「場づくり」にあるとすれば、とっくに目的は達成したということになります。なので、閉店の理由もとても明確です。
「お客さんも来てくれていたし、正直言って、このままお店を続けることはできました。でも、もっと面白いことができる感覚が自分の中にあって、そのためには一度すべて壊さないとダメだったんです。閉店は、僕なりのイタズラ。ここに来れば、パクチー料理が食べられるという安心感を壊す狙いです。(本文ママ)」
これからのパクチーハウスですが、なんと「無店舗展開」なのだそう。パクチーファンの豊かなエコシステムという「場」を置き土産に、次のチャレンジをされるそうです。
「自分の成功体験にしがみつかず、あっさり捨てることが大切。しがらみや常識に縛られず、自由に動いていれば、いろんなことが変わります。」
商売をしているとともあれしがらみや常識に縛られがちですが、こういったしなやかで自由な発想が、熱狂的なパクチニスト達に愛されたほんとうの理由なのかもしれませんね。
P.S. Googleトレンドでの「パクチー」の検索ボリューム推移を調べると、パクチーハウスが誕生日した2007年からのブームの凄まじさを見てとれます。まさに佐谷さんが”火付け役”となったことがよくわかります。
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